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能「融」の見どころ

本年12月3日に開催します「第11回佐久間二郎能の会『三曜会』」にて、佐久間がシテを勤めます能「融」についてのあらすじと見どころを紹介します。 当日のパンフレットにも掲載予定ですが、一足お先にこちらのページにて公開します!

鑑賞の手引きにぜひご利用くださいませ。



【『融』のあらすじと見どころ】


六条河原の院は、かつて贅を極めた融大臣の邸宅。その昔、源融は広大なる自邸の庭に陸奥の塩釜の致景を移し、難波の浦から海水を運ばせ塩を焼かせるという、豪奢な風流を楽しんでいた。しかし、融の死後は相続する人もなく、やがて河原の院は時の流れと共に廃墟と化した―――。


東国より上ってきた旅の僧(ワキ)は、かつての融の大臣の旧跡である六条河原の院を訪れる。するとそこへ一人の汐汲みの老人(前シテ)が、肩に田子を担いで現れる。不思議な風情に興味を覚えた僧が声をかけると、老人は自分のことを「汐汲み」と名乗り、かつてこの廃墟が塩釜の浦と呼ばれていたことを物語る。当時、融の大臣が最大の贅を尽くし、この地に広大な海を模したが、今では前夜に降った雨がたまり水になっている程度。世の無常を目の当たりにし、不思議なる老人はさめざめと涙を流す。やがて旅の僧に所望された老人は、この辺りに見える名所の数々を教える。見えわたるのは和歌に詠まれた名所ばかり。やがて日も暮れ行くと、目の前の老人は海水もない廃墟にて汐を汲むと見るや、そのまま姿を消して行く。


不思議の出会いに、最前の老人は融の化身と悟った僧は、夜もすがら再びの出会いを待っていると、果たして夢の中に融大臣の霊(後シテ)が現れ、月明かりの下、往時を偲びつつ美しい舞を舞うと、再び月の都へと帰っていく。


人間の栄枯盛衰をテーマに世の無常や変転といった仏教理念を基本とした能。取り立てての事件や出来事もなく、全編を通して『月』のイメージで統一された、寂しくも雅なる要素をふんだんに織り込んだ、抒情詩的な演目と言える。

特に今回は「舞返」の小書(特殊演出)により、後半の融の霊が舞う舞が通常よりも変化に富み、舞歌音曲に通じた融大臣の風雅な部分に重点を置いた演出となる。


源融は嵯峨天皇の十二皇子で、「光源氏」のモデルになったとも言われている。臣籍に入り左大臣まで務めるも、藤原氏との政権争いに負けた後に六条河原に大邸宅を造営し、余生を風雅のうちに過ごした(陸奥の塩竃の風景を自宅の庭に模したエピソードもここから来る)。『宇治拾遺物語』では、死後も自身の邸宅である河原院への執着が断ち切れず、後に所有者となった宇多上皇の御息所の前に幽鬼となって現れ、夜な夜な悩ませたという話が収められているが、この能ではそのような怖ろしいイメージは無く、あくまで風雅を愛でた王朝人としての姿を美しく描いている。




【舞台進行】


① 『旅僧』の登場

東国より上ってきた僧(ワキ)が登場する。今回は「思立之出」という特殊演出により、幕から謡を謡いながら舞台に向かって行く。『融』という演目に一貫する、物寂しげな秋の風情が強調される。


ワキ(僧):思い立つ。心ぞしるべ雲を分け。船路を渡り山を越え。千里も同じ一足に


② 六条河原の院に到着

やがて都・六条河原の院にたどり着いた僧。この辺りの者に地名を聞いた旨を述べると、ワキの定位置である「ワキ座」に座る。そのことで、暫く人の訪れを待つ様子を表す。


ワキ:急ぎ候ほどに。これははや都に着きて候。この邊をば六条河原の院とこそ申し候。暫く休らひ一見せばやと思ひ候。


③ 『汐汲みの老人』の登場

出の囃子に乗って、肩に田子を担いだ老人(前シテ)が登場する。今はもう寂れてしまったかつての塩釜の風景(河原の院の跡地)を眺める風情で、橋掛りの一ノ松に留まる。


シテ(老人):月もはや。出汐になりて塩釜の。浦寂びわたる気色かな。

 


④ 僧と老人の会話

海もないこの場所にて「汐汲み」と名乗る老人に対し僧が不審を述べると、老人はこの所がかつて塩釜の浦と称されていた謂れを語る。


シテ:河原の院こそ塩釜の浦候よ。融の大臣陸奥の千賀の塩釜を。都の内に移されたる海邊なれば。


⑤ 月を見上げる二人

自身の邸宅に塩釜の景色を模した融の大臣。かつての「籬が島」の辺りを老人が僧に教えると、ふと月が昇っていることに気づく。廃墟に射し入る秋の月光は、優しく周りの風景を照らし出す。


シテ:や。月こそ出でて候へ。


僧:あの籬が島の森の梢に。鳥の宿し囀りて。しもんに映る月影までも。孤舟に帰る身の上かと。思ひ出でられて候



⑥ 老人の語り

かつて融の大臣は自身の邸宅にて塩を焼かせるという贅沢な遊びに耽っていたが、その後は相続するものもなく荒れ果ててしまった――。時流の変転を語りつつ、老人は人知れず涙にむせぶ。 


シテ:嵯峨の天皇の御宇に。融の大臣陸奥の千賀の塩釜の眺望を聞し召し及ばせ給ひ。この所に塩釜を移し。あの難波の御津の浦よりも。日毎に潮を汲ませ。ここにて塩を焼かせつつ。一生御遊の便とし給ふ。然れどもその後は相続して翫ぶ人もなければ。浦はそのまま干汐となつて。地辺に淀む溜水は。雨の残りの古き江に。落葉散り浮く松蔭の。月だに澄まで秋風の。音のみ残るばかりなり。


地謡:恋しや恋しやと。慕へども嘆けども。かひも渚の浦千鳥 音をのみ鳴くばかりなり


 

⑦ 名所教え


所は都六条。僧はこれを機会に、このあたりに見える名所の数々を老人に教えてもらう。

ここでシテは、実際に能舞台にて決められている東西南北それぞれの方角を見遣りながら、辺りの景色———音羽山をはじめ、今熊野や藤の森、伏見、大原と見渡していく。

※後述


⑧ 消えていく老人《中入》

僧と共に数々の名所を見渡し興に乗った老人は、はたと汐を汲むことを思い出し、月明りの下で田子を担ぎ、汐を汲んで見せる。すでに廃墟と化した河原の院に、いつの間にか漫々たる海水が漲っている様子は幻影であろう。そのうち、老人の姿は汐曇りに紛れどこへともなく消えていく。



地謡:汲めば月をも袖に望汐の。汀に帰る波の夜の。老人と見えつるが汐曇りにかき紛れて跡も見えずなりにけり。跡をも見せずなりにけり。



⑨ 所の者が登場

その場に残っていた僧の前に所の者(アイ)が現れ、かつて融の大臣が千人の人々を使って難波津から海水を運ばせたエピソードを語る。


⑩ 夢の出会いを待つ僧

先刻の老人が融の霊と知った僧は、その場に残り夢の出会いを心待ちにする。


ワキ:なおも奇特を見るやとて。夢待ち顔の旅寝かな。夢待ち顔の旅寝かな。


⑪ 融の大臣の霊が登場


僧が深い眠りに落ちていくと、果たして夢の中に融大臣の霊(後シテ)が在りし日の姿で現れる。そして、生前に月の照らす池に舟を浮かべて宴を催した古を懐かしみ、冴えわたる月光のもと、優美な舞を舞い始める。



後シテ(融大臣):忘れて年を経し物を。又いにしへに帰る波の。満つ塩釜の浦人の。今宵の月を陸奥の。千賀の浦わも遠き世に。其名を残すまうちきみ。融の大臣とは我が事なり。我れ塩釜の浦に心を寄せ。あの籬が島の松蔭に。明月に舟を浮べ。月宮殿の白衣の袖も。三五夜中の新月の色。千重ふるや。雪を廻らす雲の袖。

地謡:さすや桂の枝々に。 シテ:光を花と。散らす粧。 地謡:ここにも名に立つ白河の波の。 シテ:あら面白や曲水の盃。

地謡:受けたり受けたり 遊舞の袖




月の都へ帰っていく融の幽霊(終曲) 


美しき舞を見せる融。その姿を照らし出す月もまた、様々な姿を見せる。遠山に霞む月、眉のような三日月。小舟にも譬えられる月を水中の魚は釣り針に見紛い、空飛ぶ鳥は弓の形かと驚く。やがて鳥も鳴き、鐘も聞こえ始めると、月は早くも西へ傾く。その光に誘われるかのように、融大臣は月の都へと帰っていく。その姿を、僧はいつまでも名残惜しそうに見送っていた。



地謡:影傾きて明方の。雲となり雨となる。この光陰に誘はれて。月の都に。入り給ふよそおひ。あら名残惜しの面影や。名残惜しの面影。


【鑑賞のポイント】


① 名所教え


融の前半(前シテ)では、老人が僧に都の風景を詳しく教える「名所教え」があります。実在する都の名所を語りますが、能舞台に定められている東西南北を見渡す動きにもぜひ注目してみて下さい。(赤字が謡の中で登場する名所)


ワキ「まづあれに見えたるは音羽山候か。

シテ「さん候あれこそ音羽山候よ。

ワキ「さては音羽山。音に聞きつつ逢坂の。関のこなたにと詠みたれば。逢坂山も程近うこそ候らめ。

シテ「仰せの如く関のこなたにとは詠みたれども。あなたにあたれば逢坂の。山は音羽の峯に隠れて。この辺よりは見えぬなり。

ワキ「さてさて音羽の嶺つづき。次第々々の山並の。名所々々を語り給へ。

シテ「語りも尽さじ言の葉の。歌の中山 清閑寺。今熊野とはあれぞかし。

ワキ「さてその末につづきたる。里一村の森の木立。

シテ「それをしるべに御覧ぜよ。まだき時雨の秋なれば。紅葉も青き稲荷山

ワキ「風も暮れ行く雲の端の。梢も青き秋の色。

シテ「今こそ秋よ名にしおふ。春は花見し藤の森

ワキ「緑の空も影青き野山につづく里は如何に。

シテ「あれこそ夕されば。

ワキ「野辺の秋風

シテ「身にしみて。

ワキ「鶉鳴くなる。

シテ「深草山よ。


地謡「木幡山 伏見の竹田 淀 鳥羽も見えたりや。

地謡「眺めやる。其方の空は白雲の。はや暮れ初むる遠山の。嶺も木深く見えたるは。如何なる所なるらん。

シテ「あれこそ大原や。小塩の山も今日こそは。御覧じ初めつらめ。なほなほ問はせ給へや。

地謡「聞くにつけても秋の風。吹く方なれや峰つゞき。西に見ゆるは何処ぞ。

シテ「秋もはや。秋もはや。半ば更け行く松の尾の嵐山も見えたり



② 『舞返』の小書


後半、融の大臣の霊(後シテ)が登場しますと、ほどなく月光の下にて美しい舞を舞う場面となります。この舞を『早舞』と言い、貴人などが舞う優美な舞となっています。また、笛の調子が一般的な『黄鐘調』(おうしきちょう)よりも音律が若干上がった『盤渉調』(ばんしきちょう)となり、一層に華やかさが強調されます。また、今回の小書である「舞返」は、初めに五段の早舞を舞った後に、突如として囃子のスピードが格段にアップする「急之舞」が入ります。


また、前段の早舞では「クツロギ」という演出も入ります。これは舞台上のシテが舞の途中で橋掛りへ移動し、揚幕の辺りで一旦舞をやめて暫く佇むというもの。囃子の音色をシテが暫く寛ぎながら聴いている風情から「クツロギ」と呼ばれています。『融』の後半の舞は通常演出でも貴人の優美さを十分に醸し出す舞となりますが、今回はこの「クツロギ」と「急之舞」が入ることで、一層シテの舞に変化が生じ、またそれに伴って囃子方の絶妙な楽曲を存分に味わうことが出来ます。ぜひお楽しみ下さい!

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